そして召し上がれ。本をしゃぶりつくすように。

新書だけが本ではない 古今東西誰かに見つかるのを待っている本がある

逆境がプロジェクトXを生み出すのかも知れない とある新幹線運転士の賭け

紹介するのはコチラの本。

戦後70年 日本人の証言 (文春文庫)

戦後70年 日本人の証言 (文春文庫)

 

 

 

今回はその中から新幹線についてのドラマを紹介。

新幹線開業 通達の背いた時速二百六十キロ 大石和太郎(新幹線運転士第一号)

ところが開業日が一か月後に迫ったころ、現場の私たちの思いをくじくようなことが起こりました。新幹線の最高速度は時速百六十キロのするという運転基準が示されたのです。

慣らし運転のためなどと言われましたが、日本の旅客列車が世界最速となるのを嫌がる有力国に配慮したとか、新幹線を推進した国鉄最高幹部たちに花をもたせるのを望まない政治的な力がはたらいたといった噂も飛び交いました。

理由はどうあれ、現場は猛反発しました。私自身、そのころまでには全線を速度二百十キロで走る試運転を成功させていて、安全にも絶対の自信がありました。

なぜこんな事が起きたのかは詳細不明のままだけれど、現場のエンジニアの人達がここまで頑張って来ていてそりゃあないぜ、という展開。

 けれど、それで終わらないところがミソ。運転士の大石さんがやってくれます。

懸命に準備を進めてきた私たちの間で不満が高まるなか、開業日の二週間ほど前になって、私が一番列車の運転士に指名されました。 なぜ私が選ばれたのか、はっきりした理由はわかりません。ただ、その時の上司たちに「あいつならきっとやるだろう」と思われたからだろうと私は考えています。そして開業日当日。運転席に座ったとき、私は新記録を達成してやろうとすでに心に決めていました。そこで処分されても構わないという思いでした。大津のあたりで新幹線の速度をぐんぐん上げ、時速百六十キロを超え二百十キロまでもっていったとき、私のすぐ横には監査役の上司と副運転士がいましたが、二人とも無言でした。運行を管理する司令所も「異常」に気づいていたはずですが、問い合わせはありませんでした。みんな私と同じ思いを胸に秘めていたんですね。
歴史を作ったという思いもありましたが、一運転士が圧力をはねつけながら列車を走らせていることに、私はなんとも爽快な気分を覚えていました。

 いつの時代にも現場がワリを食い、そして現場がそれを跳ね除けて行くんですね。いつか誰かがいっていた「事件は現場で起きてるんだ!」って言葉を思い出す。