そして召し上がれ。本をしゃぶりつくすように。

新書だけが本ではない 古今東西誰かに見つかるのを待っている本がある

別れ

別れ:

  1. 別れること。互いに離れて別々になること。別離。「友との別れを惜しむ」「別れの日を迎える」「別れの杯」
  2. 別離のあいさつ。いとまごい。「故郷に別れを告げる」「別れの言葉」

  3. 死に別れ。死別。「永 (なが) の別れ」

  4. 立ち去るにあたって、心付けとして与える金銭。

出典:デジタル大辞泉(小学館)

 

 

 

次の日にはお祖母様に手を引かれて玄関までお暇乞いにきた。私はいつもの大人びた言葉つきでしとやかに挨拶をするお恵ちゃんの声を聞いて飛んでも出たいのを急に訳のわからない恥ずかしさがこみあげてうじうじと襖のかげにかくれていた。お恵ちゃんは行ってしまった。

 

 後を見送っていた家の者は口々に「綺麗なお嬢様だ事」といった。お恵ちゃんはお雛様の時の着物をきてきたという。一人机の前に座ってなぜあわなかったろうとかひもない涙に暮れているのを乳母ははやくも見つけて「ぼっちゃまもおかわいそうだ」と言った。

 

 あくる日私は誰よりも先に学校へ行った。そうしてそっとお恵ちゃんの席に腰掛けて見たら今更のように懐かしさが湧き起こってじっと机をかかへていた。お恵ちゃんはいたづら者である。そこには鉛筆で山水天狗やへマムシ入道がいっぱい書いてあった。これはもう20年も昔の話である。私は何だかお恵ちゃんが死んでしまったような気がしてならない。そうかと思えば時には今でもお恵ちゃんが生きていて折ふしその自分のことなる思い出しているような気もする。

中 勘助 銀の匙

 

 

 

 「さようなら御機嫌よう」

 私は暗いところで黙って頭を下げた。俥の響が遠ざかって門の閉まる音がした。私は花にかくれてとめどなく流れる涙をふいた。私はなぜ何とか言わなかつたろう。私は肌のひえるまでも花壇に立ち尽くして昨夜よりもいっそう不具に生った月が山の向こうから差し掛かるころようやく部屋へ帰った。そうして力なく机に両方の肘をついて、頬のようにほのかに赤らみ、*のようにふくらかにくびれた水蜜を手のひらにそっとつつむように唇にあててその濃やかなはだを通して漏れ出す甘い匂いをかぎながらまた新たな涙を流した。

中 勘助 銀の匙